幼児期

遊び相手はもっぱら男の子であった。戦隊物の真似事や、喧嘩ごっこ等、荒っぽい遊びを好んだ。
他の性同一性障害者から、幼児期に自分は男であり将来的には男性器が生えてくるのだと思っていたという話をよく聞く。
僕の場合、自らの性別が女性であることは自覚していて、
その上で男性でありたいという願望と、女性としての扱いを受けることに不快感を覚えていた。
それが自分にとって当然の気持ちであり、しかしそれがまた一般的な感覚ではないことも自覚していた。
しかし、一般的ではないと自覚しつつも、当時は男性でありたいという気持ちを抑えることをせず、
当たり前のように男性として扱うことを周囲に求めていた記憶がある。



運動会のお遊戯

運動会のお遊戯で、男女がペアになって組み、ダンスを踊らなくてはならないことがあった。
自然な流れで行けば、自分は女性の枠に入れられる。そう思うと、嫌で嫌でたまらなかった。
しかし、ある日突然、先生がこう言った。

「女の子が多いから、女の子のうち何人かは男の子の方で踊ってもらいます。誰か、男の子の方に入りたい子はいますか?」

絶好のチャンスだと思った。僕は躊躇せず、大きく手を上げた。
周囲にちらほらと同じように手を上げている子が何人かいたため、
僕は負けじと大きく手を挙げ、大きな声で「ハイ、ハイ!」とアピールをした。
すると、先生が私に目を留めて言った。

「瞬ちゃんは男の子みたいだから、男の子の方に入ろうか。」

数ある立候補者の中から自分を見止めてもらえたこと、
そして幼稚園内での絶対的支配者であった先生から「男の子みたいだから」と言ってもらえたこと、
僕は信じがたい事態に歓喜し、苦痛を伴うことなくお遊戯を楽しむことができた。



ここはネズミの部屋

幼稚園の思い出は、良い物ばかりではない。
小さな文化祭のような催し物の中で、同クラスの子達が集団で演技をする機会があった。
話すべき台詞は先生によって決められ、子供達はそれを一斉にしゃべるのだ。
この、第一声の台詞を、私は克明に覚えている。

当時の幼稚園には「ネズミの部屋」と呼ばれる部屋があった。
実際にネズミが出るのかどうかは知らないが、いわゆる物置として使われている、小さな薄暗い部屋だった。
悪事を働いた子供は、お仕置きとしてこの部屋に数分間閉じ込められる。
子供達には「とても怖い部屋」として恐れられていた。

第一の台詞は、先生のアナウンスによる「ここは、ネズミの部屋。」であった。
子供達は全員何かの事情でネズミの部屋に閉じ込められているという設定だ。
そのアナウンスの後、女の子達が全員で「キャー!」と叫ぶ。
それに対して、男の子達が「大丈夫だよ、俺達がついてるから」と答えるのだ。

僕はこれが苦痛で苦痛でならなかった。
練習の時から反抗的で、絶対に女の子の台詞を言わず、男の子の台詞をしゃべった。
先生からは、「瞬ちゃん、それは男の子の台詞だよ。瞬ちゃんは『キャー』って言うんだよ。」と何度も注意された。
頑なに男の子の台詞を話す私に、先生も頑固に何度も注意を重ねた。

先生を困らせていることはわかっていた。
だが、女の子の台詞をしゃべり、さらに男の子に「俺達がついているから」などと言われることが苦痛でならなかった。
先生を困らせず、自分も納得する方法を模索し、葛藤したことをよく覚えている。

結局、僕はどちらの台詞もしゃべるという方法で自分を納得させることにした。
女の子の台詞を口にするのは苦痛だったが、
次の男の子の台詞をしゃべることでほんの少しだけその苦痛が緩和するように思えた。
それ以後、先生は僕を注意することはなかった。

自分の性自認と社会との軋轢を初めて体感した出来事だった。





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